お葬式

本日は葬儀、火葬、法事でした。葬儀は昨日と同様の葬儀場で行いました。コロナ下ということで家族のみで行う予定でしたが、近所の方が一組、どうしてもという事でいらしていました。祖父は農業を営みながら小学校の先生としても定年まで勤めたそうで、その教え子さんとお母さんだそうです。葬儀は昨日とほとんど同様にすすみ、最後お別れの挨拶として花を棺桶の中に供え、礼拝しました。そこでその息子さんが咽び泣いておられ、祖父の徳の高さを感じました。

 

その後は車で30分ばかり離れた火葬場に向かいました。建物は美術館のような佇まいで、内装は高級旅館のような作りでした。発したことばが壁に染み入ってしまいそうなほど静かで、それでいて光はやわらかく暖かみのある空間でした。火葬の前、最後にお焼香をあげ感謝の気持ちを伝えました。触れた頬は冷たく、もうここにはいないという事をはっきり感じました。昨日お坊さんが浄土真宗では永眠という言葉は使わないのだというお話をしてくださいました。往生といってこの世をさり極楽浄土にいって生まれ変わるというふうに考えられているそうです。生まれ変わり仏になる事を成仏といい、生を受けている状態よりも仏としている状態が普通と考えられています。火葬は90分ほどかかるということで待合室に移り、出された弁当をみんなで食べました。我が家はみなこういう時も普段通りに振舞います。きっとその方が祖父も喜ぶだろうと考えているからです。最後にお骨を骨壷に入れました。足の骨から入れていき最後に喉仏の骨、頭蓋骨の骨の順に入れます。

 

通常葬儀から7日目に法事をするそうですが、最近は親族が集まれないため葬儀の日にまとめる事も増えているそうです。我が家も北海道、福岡、広島、山口と全国展開しているため当日に行うこととしました。祖父の家に集まり、葬式でお経を読んでくださった住職さん再度来ていただきました。葬儀場では椅子でしたが、家では畳のため正座をしなければなりません。途中脚が限界に達しましたが祖母の喝もありなんとか乗り切ることができました。正座は本当に苦手です。正座をする意味についても今度教えを賜りたいところです。

 

夕食は家族で食べました。普段はあまり話さない父ですが今夜は饒舌でした。一通り式が終わって肩の荷が降りたのかもしれません。思えば家族全員で集まるのも5年ぶりという事です。祖父の兄弟の仲が悪いという話題が上がり、その理由を祖母が教えてくれました。曽祖父は林業で巨額の富を築いたそうですが、その財産のほとんどを寺へ寄付したそうです。祖父兄弟はその事に関して何故身内で分配しないのだと憤りそれで今でも喧嘩が絶えないそうです。曽祖父はみんなのためを考えてそうしたのですが、結果的にその意図はうまく伝わってないようです。この話を聞いて、寺への寄付の是非は別として、先祖にそんな奉仕の心を持った人がいることを嬉しくおもいました。また家族で会うことを約束し、今度は妻と息子も是非ということなのでその日まで、明日からしっかりとよき医者となるべく日々努力してまいります。